2020年の東京オリンピックに新たにオリンピック種目となったことで注目が集まるサーフィン。競技会場は、千葉県の九十九里浜の最南端に位置する釣ヶ崎海岸です。

愛知県田原市の伊良湖エリアは全国有数のサーフスポットとして知られており、サーフィンの聖地(メッカ)の一つでもあります。しかし、伊良湖エリアはメッカであるにも関わらず、実は地元でのサーファー人口が少ない地域です。そんな中、伊良湖のサーフィンの魅力を伝えようと活動する田原市出身の第一号プロサーファーとなった杉原 康幸さん。杉原さんは現在サーフスクールの講師を努めながら、サーフィンと田原市ならではの農業や観光の融合で、若者にサーフィンをもっと親しんでほしいと活動しています。

今回は杉原さんがサーフィンをはじめたきっかけや魅力などについて伺いました。

2018年 PHOTO撮影 伊良湖


杉原 康幸(YASUYUKI-SUGIHARA)|プロフィール
1985年生まれ、愛知県田原市出身。小学生のときに父の影響からサーフィンを始め2005年に19歳で田原市出身としては第1号のプロサーファーとなる。プロとして全国各地でサーフィンをするうちに、地元である伊良湖のとある課題に気づく。その気付きから、現在はプロとして活動するかたわら、自身が運営する伊良湖サーフスクールにて後輩育成や、サーフィンと観光・農業を融合させた取り組みを発信、展開している。

現在(2019年11月時点)の協賛企業一覧(順不同)
・Rock Dance surfboards (サーフボードメーカー)
・Rock Hopper wetsuits(ウェットスーツメーカー)
・Flash Packer(ライフスタイルウェアメーカー)
・Crunk Auto(自動車整備・中古車販売)
・Hanalolo(ビーズクッションメーカー)
・Famous Wax(サーフワックスメーカー)

父と兄の背中を見て、浮き輪がわりにサーフボードで遊んだ子ども時代


―サーフィンを始めたきっかけを教えてください。

杉原:僕の父と兄がサーフィンをやっていた影響を受けて小学校1年生のときから始めました。夏になると家族で海に行きバーベキューをしながら浮き輪で海水浴をしますよね。僕の場合は、浮き輪の代わりにサーフボードを使っていました。毎年、夏になると父や兄に付いてサーフィンに行くのが日常でしたね。

―プロを目指すと意識したのはいつごろからでしたか?

杉原:僕の場合は、プロを目指してプロサーファーになったのではなく、気づいたらいつの間にかプロになるための大会に出ていました。兄のサーフィンをする姿がかっこよくて、それに憧れて小学校5年生くらいから真剣にサーフィンをするようになりました。

それから自分のサーフィンの技術をもっと上げたいと思い、アマチュアの大会に出て入賞し、スポンサーもつくようになりました。次第に大会のレベルが上っていき、いつの間にかプロの大会にも出るようになっていましたね。

―サーフィンの世界ではどのようにしてプロになるのでしょうか?

杉原:日本では、日本プロサーフィン連盟(JPSA)という組織があり、そこが主催する大会でプロの資格を得られます。JPSA主催の大会で何点以上の点数を出したか、その大会で何ラウンド勝ち上がったかなどの基準で審査されます。僕もJPSA主催の大会で19歳のときにプロになりました。

海の偉大さに触れられることこそサーフィンの魅力

2019年夏 PHOTO撮影 伊良湖


―サーフィンの魅力を教えてください。

杉原:僕が考えるサーフィンの魅力は大きく2つあります。1つ目はやはり、波の上を滑るという感覚が魅力ですね。僕はその感覚をもっといろんな人に体験してもらいたいと思っています。2つ目は、海の偉大さを感じることです。サーフィンは他のスポーツと比べて自然に大きく左右されます。

例えば明日この海岸で大会があるとします。大会のためにこの海岸で事前に練習しても、本番にならないと波の動きはわかりません。同じ会場の大会でも、自分が出場する時間帯によって波の調子は全く変わってくるからです。自然次第で、たとえ同じ場所だとしても同じ条件で練習が繰り返しできないというのがサーフィンの難しいところでもあり、魅力だなと思います。

―海の偉大さを体験することでわかることはなんですか?

杉原:海の何がどう危険なのか身をもって理解することができます。これは、実際に海で活動するからこそわかることでもあります。子どものころ、親に「海は危ないから入ってはいけないよ。子どもたちだけで行ってはいけないよ」と教わることがありますよね。

しかし、親が付いていれば大丈夫かというとそんなことはありません。実際に、毎年夏になると海水浴場で誰かが亡くなったというニュースを聞きますよね。海の何が危ないのか、どこか危険なのか、どんなときが危険なのかなどを教えられる親はそうそういません。

海の危険についてどう教育していくのかは、全国のプロサーファーの中でも共通の課題となっています。今は造波装置を使用した「ウェーブプール」というものがありますが、自然の波は実際に海で体感しないとわからないものがあります。

地元の「サーフィンをやっている=不良」のイメージを変えたい

田原市のコミュニティバス「ぐるりんバス」


―杉原さんはサーフィンをするかたわら、農業やサーフスクールで指導していると伺いました。サーフィン以外にもこういった活動する理由を教えてください。

杉原:伊良湖エリアは他のサーフスポットと比べて田原市は地元のサーファーが少ないなと感じたからです。だから僕は、子どもたちにサーフィンもっとを親しんで欲しいと思いサーフスクールを開きました。また田原市の外から来た人に、より伊良湖エリアの魅力を伝えたく、サーフスクールの中で農業体験や田原市の観光案内をしています。

―田原市出身のサーファーの人は現在何人いるのですか?

杉原:田原市出身のサーファーは現在4人です。僕はいろんなところでサーフィンをしているからこそわかりますが、この伊良湖エリアはとても地元のサーファー少なくて、遅れていると感じます。

例えば千葉のサーフスポットは、そのエリアの近くに住んでいる地域住民のサーファーが多く、そして次の世代の子どもたちもたくさんいます。そうしてみると、伊良湖エリアは大人も子どもも含めて地元のサーフィン人口の比率が低いです。

―なぜ伊良湖エリアでは地元のサーフィン人口は少ないのでしょうか?

杉原:ここでは未だに地元の人のサーフィンに対する理解が少ないからだと思いますよ。「サーフィン=良くないイメージ」ということです。今でこそサーフィンは普通の方がやるようになったスポーツですが、昔は確かに不良の人がやっていることが多かったです。

だから、サーフィンをやっているのは大人になっても遊んでいる、というイメージが地元の人にまだあるのだと思います。僕はアスリートとしてはもちろん、サーフィンのイメージを底上げしたいという気持ちの方が今は強くなっています。

ーそのためにサーフスクールや農業を絡めた観光をやっているのですね。

杉原:はい。実はこの地域はサーフィンのメッカというだけでなく農業も日本一の地域なのですよ。キャベツや電照菊など全国有数の生産量を誇ります。しかし、名古屋など地域外から来たサーファーは、2時間ぐらいサーフィンをして、通りすがりのコンビニに寄って帰ってしまう。サーファーと地元の人と触れ合うことが少ないんです。

せっかく、伊良湖エリアに来たのなら産直に寄って日本一の農産品を買って、少しでも交流してくれてもいいのかなと。そうしたら、地元農家の人のサーファーに対するイメージが変わってくると思います。そして、スクールを通して農家さんの子どもたちが、サーフィンをするようになるのを目指しています。

サーファーとしてこれから目指すもの


―杉原さんのサーフィンにおける目標はなんでしょうか?

杉原:もっと、今まで行ったことのない国に行ってサーフィンをしたいです。そこで、これまで乗ったことのない波に乗りたい。そして、訪れた国々のサーフエリアの盛り上げ方や、その工夫を学んで、地元に持ち帰りたいです。

また、サーファーとして僕がまだ見たことのないサーフィンの見せ方を学びたい。そのために、フォトグラファーを雇って良い写真を残したり、大会に出たりするなど、もっと経験を積みかせねていきたいですね。

あとは、できる限り長くサーフィンができることです。サーフィンの良いところは一生涯できるところで、意外と年配の方でもサーフィンをやっている方はいるんですよ。なかには、還暦を超えた人もいます。年齢に関わらず誰でもできるスポーツだからこそ、僕も一生涯やりたいですし、そしてより多くの人にサーフィンが身近な存在であるようになってほしいです。

※写真提供…unagiya 様、kentalow 様、m.kitamura 様